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与沢翼の学歴|高校は3日で退学?地元一の不良が年少10億円の起業家になるまで

与沢翼さんは「秒速で1億を稼ぐ男」とも呼ばれた日本の実業家です。

現在は結婚してドバイに移住し、3人の子供を育てる父親となり、新たなライフステージで活動されています。

与沢翼さんといえば、大豪邸や高級車など裕福な生活が印象的ですが、彼がそこまでの経営者に上り詰めるにはさまざまな経験や苦労がありました。

今回は与沢翼さんの学歴に着目して、当時のエピソードを写真付きでご紹介します。

与沢翼の学歴まとめ

与沢翼 学歴
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まずは、与沢翼さんの学歴をまとめてみました。

  • 小学校:秩父市立長瀞小学校→大宮市立大砂土東小学校
  • 中学校:大宮市立八幡中学校
  • 高校:武南高校→大宮中央高校
  • 大学:早稲田大学(社会科学部)

与沢翼さんは1982年に埼玉県の秩父市で生まれました。

小学校時代は母方の祖父母野本で育ち、父親が大宮に家を建てて引っ越してからは、高校までを大宮で過ごしています。

与沢翼の幼少期!祖父母との生活で染みついた人格の基盤

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与沢翼さんは「秩父市立長瀞小学校」に通っており、6年生の3学期に「大宮市立大砂土東小学校」へ転校しました。

幼少期〜小学校時代は、今後の彼の人格形成にも大きな影響を及ぼした重要な期間。

当時のエピソードを詳しく見ていきましょう。

内気でビビリな少年は家族を離れ祖父母の元へ!

与沢翼さんの父親はNTT社員で、千葉・仙台、さらにはアメリカまで、仕事柄転勤が多い方でした。

当時の与沢翼さんは引っ込み思案&かなりの怖がりで、保育園時代は教室の中に入れず、門の前でずっと泣いていたそう。

なので、度重なる転勤は彼にとって大きなストレス!

両親との話し合いの末、小学校1年生からは旅館を経営していた母方の祖父母に預けられることになります。

幼い頃に身についた異常な金銭感覚

祖父母の家では、かなり甘やかさえて育ったという与沢翼さん。

テストを頑張ると万単位のお小遣いをもらえたり、何かを達成できた時には必ずプレゼントがもらえたそうです。

4畳半の部屋には、未開封のおもちゃが山積みだったというエピソードも!

与沢翼さんは、この当時から「良くも悪くも欲しいものを全部手に入れるわがままさが身についてしまった」と話しています。

また、何か欲しいものがあるときは、祖父母の仕事を手伝うことでお駄賃がもらえたので、「働けばお金をもらえる」という、成果主義の思想が身についたのもこの頃です。

不良の肩書きは自分を守る盾だった?

祖父母の家で1年生〜6年生の2学期までを過ごすも、通っていたのは1クラス30名程度で、1〜6年生までクラス替えがないような小さな学校。

与沢翼さんは当時から少し変わった少年で、3年生あたりから周りと距離を置かれるようになり、友人はいなかったそうです。

子分のような仲間は1人いたものの、だんだんと狭いコミュニティでの暮らしがつまらなく感じてきて、父親が大宮に家を建てるタイミングで祖父母の家を出ることになりました。

しかし、新しい小学校では、田舎訛りがあったことを理由に同級生からいじめを受けます。

親にも言えず、心がうちに塞ぎ込んでいた時期に、近所のゲームセンターで一つ年下の不良少年と出会います。

彼と仲良くし始めた途端、いじめがぴたりと止み、与沢翼さんは「不良になると自分を守れる」と思うように。

これが、彼を不良の道へ進ませた大きなきっかけとなります。

与沢翼は中学で暴走族入り!とある事件がきっかけで更生?

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小学校卒業後は、自宅近所の「大宮市立八幡中学校」へ入学。

6年生で踏み込んだ「不良」の道は、さらに加速していわゆる「暴走族」へとレベルアップしていきます。

中学に入ると、不良からヤンキーへ。

中学に入った与沢翼さんは、学校へはほとんど行かずに、仲間と原付や単車を乗り回す毎日を過ごしていました。

その行為は学年が上がるにつれてどんどんエスカレートし、地元でも流れた"ヤンキー"とばれる存在へ。

一方で、学力は高く、授業は受けなくても内容を聞けばある程度できる地頭の良さは持ち合わせていたようです。

夏祭りでの暴行事件がきっかけで受験勉強に専念

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与沢翼さんが中学3年生の時、毎年12月10日に氷川神社行われる「十日市」という夜祭りで、暴走族から集団暴行を受けます。

相手は19〜20歳で、当時15〜16歳だった与沢翼さんからしてみると体格に圧倒的な差がある大人ばかり。

反抗するまもなく、内臓破裂などの大怪我を追い、東大宮病院に緊急入院となりました。

しかし、この時期はちょうど受験勉強の時期にあたり、入院生活が受験に専念する良い機会となったようです。

与沢翼は高校を中退していた?祖父がくれた夢への希望とは

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与沢翼さんは、受験勉強の甲斐あって、偏差値55〜60ほどと言われている、私立の「武南高校」に合格しています。

高校時代は、彼の中で人生を変えるような出来事が何度も訪れた、重要な時期でもありました。

高校は3日で中退!逮捕され少年鑑別所へ

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やっとの思いで入学できた高校ですが、なんと入学して3日で教師と揉めて、結果中退しています。

教師と揉めた理由は、持っていたPHSを没収されたのがきっかけだったそうです。

高校を辞めて少ししてからは、毎日仲間と飲酒や喫煙を繰り返す日々。

特攻服やバイクを買い、大宮最大の暴走族に加入しましたが、ついに暴走行為で逮捕されます。

しかし、この逮捕は与沢翼さんにとって、自分の素行を冷静に振り返り、頭を冷やすことができる良いタイミングとなったといいます。

警察や法の怖さを学び、「ここを出たらきちんと社会復帰しよう」と心から思うことができた、転機となりました。

1冊の本との出会いが夢と希望をもたらす

少年鑑別所に入っていた時に、与沢翼さんは祖父から大平光代さんの『だから、あなたも生きぬいて』という本を差し入れで受け取ります。

この本は、大平光代さんが壮絶な過去を乗り越えて弁護士になるまでの道のりを描いたノンフィクション小説。

彼女の生き方に勇気をもらった与沢翼さんは、新たに"弁護士"という夢を抱くようになります。

鑑別所を出てからはアルバイトなどをして暮らしていたものの、地元という環境要因もあり、「ここにいてはこの生活から抜け出せない」と状況を決意。

大好きだったバイクを売り、大学を目指して代々木ゼミナールで9ヶ月猛勉強し、現役から2個遅れの20歳で早稲田大学に合格しました。

与沢翼の大学時代は優等生!堀江貴文に憧れ企業の道へ

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与沢翼さんは「早稲田大学」の社会科学部を卒業しています。

弁護士になりたかったので法学部に入りたかったのですが、偏差値が高いため堅実な社会学部を選択して受験しました。

ちなみに、上智大学や立教大学も受け、こちらも全て受かっていたそうです。

彼の地頭の良さが再認識できるエピソードですよね!

司法試験に向けて勉強の日々

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与沢翼さんの大学時代は、中学高校とは打って変わって、授業は全出席の優等生。

大学4年間、成績は「優」ばかりだったそうです。

留置所や鑑別所を出て、若くして社会での労働経験もある彼は、社会復帰のために大学に通っていたので、他の学生とは明らかにモチベーションに違いがありました。

ゼミでの講義はいつも最前列で受講。

大学1~2年の頃までは「伊藤塾」という司法試験の予備校にも通い、とにかく弁護士になる一択でひたすら勉学に励んでいたそうです。

堀江さんに憧れ起業家の道へ

弁護士を目指し努力していた与沢翼さんですが、ある日テレビで実業家の堀江貴文さんをテレビで見て衝撃を受けます。

東大中退の上場企業社長がフェラーリに乗って・六本木ヒルズに住んでいる姿を見て「異次元」と感じたと同時に、心底かっこいいと思ったそうです。

与沢翼さんの中では「成り上がる」=「社会的に認められてかっこいい」というイメージが強くありました。

それを体現している堀江さんがかっこいい大人の不良に見え、「起業家っていうのが俺の目指しているものなのでは?」と思い、弁護士になることをやめて、起業家を目指すようになりました。

これがきっかけで大学の授業も可能な限り、起業向けのものに変えています。

学生ベンチャーでアパレルのネット通販で3年半くらい、年商10億円達成。これが1度目の成功。

そこから、ミッドタウンに住んで、フェラーリに乗って、憧れの堀江さんの生活をトレース

まとめ

与沢翼 学歴
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今回は与沢翼の学歴について紹介しました。

中学では暴走族としての人生も経験しましたが、最終的にはその頃の出来事が大きな転機に。

大学では優等生として成績を収め、起業家としてもトップクラスの位置まで上り詰めました。

彼の学歴とその背景を知ると、成功に至るまでの苦難と、それを乗り越えてきた経験、仲間の大切さが伝わってきます。

与沢翼さんの人生は、どんな困難な状況でも目標を見失わず、ひたむきに努力することの重要性を教えてくれました。

スキャンダルの多い彼ですが、今後の活躍も引き続き注目していきたいですね!

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